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海と死と



稲毛の浜から東京方面を望む

1991年8月はじめ、このときと同じようにここでカメラを構えたのだった。当時の三十路は、定時制高校2年生の夏休みを迎えていた。疲れきった、ボロボロの心と身体で。

あの頃、忘れかけていた病気が顔を出した。食欲不振と、絶え間なく襲ってくる吐き気と闘っていた。郵便局のバイトもクビになったし、2学期からちゃんと学校に行けるかどうか・・・全く自信がなかった。8月10日頃だったろうか、初めて神経科の医者にかかった。病院の待合室で座っていることも出来ないくらい、苦しんでいた。

夏休みが終わりに近づき、学校が迫ってくる。毎日カレンダーを見ては、恐怖と闘っていた。体重は減り続け、50㎏あった体重が43㎏になっていた。
9月2日、2学期が始まった。三十路は早退した。それから休んだ。
食事もとれず、水もろくに飲めない状態であったから、内科にかかることに。9月4日、近所の病院の内科にかかった。医師は「これは鬱病みたいだ。脱水症状が出ているから入院してもらうけど、ちゃんと神経科にかかってください」と言った。

入院して点滴を受ける毎日だった。医師が「何も食べなくても点滴だけで2ヵ月は生きられるから、大丈夫だよ」と言った。じゃあ、私の命はあと2ヵ月なのか・・・と思った。
病室の白い壁を眺めるともなく眺めながら、死ぬのかな・・・と思っていた。でも今よりはマシかな、と思う。自分から逝こうとは夢にも思わなかったし、生命への欲望の火を、狂おしくかき立てられていたからだ。

数回の外泊を経て、10月1日に退院した。自宅が一番安心出来る場所だと悟ったからだった。苦しみながらもなんとか学校に復帰出来たし、死ぬようなこともなかった。それは、現在までの苦痛への序章だったのだが。

実は当時、三十路には憧れの女の子がいた(結局はそれか)。女子サッカーリーグの選手で、○×證券に所属しているサッカー少女だった。リアルタイプ美墨なぎさ・・というところだろうか。彼女にイイところを見せたくて、いろいろ無理を重ねた部分もあった。もちろん、彼女のせいで病気が悪化したとは思わない。時期が悪かっただけである。後に、校内で噂になってしまい、迷惑をかけてしまうのだが・・・。恥ずかしい過去の話。あ~、今思い出しても恥ずかしい。

稲毛の浜でカメラを構えてから15年・・・。あの頃よりはマシになった部分も多いが、悪くなった部分もある。変わらない部分もある。ありのままの自分を受け入れることだけが、今の自分に出来ることである。
思い出として懐かしむには、生々しすぎるのだが・・・こうしてこの浜に来ると、あの頃の自分が妙に懐かしく、せつなく思い出されるのである。
あの頃に感じた生命への執着心を、忘れないようにしなければならないと痛切に思う。
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