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青いスタスィオン

三十路の、中学生時代の夢は、電車の車掌になることでした。
すでに書きましたが、三十路は不登校で義務教育をほとんど受けていません。

そんな三十路も、電車には乗れたのです。中2になりたての頃だったでしょうか、練習したのです。国電(当時)や京成電車に乗って、いろんなところに出かけて行きました(でも学校には行けなかった

釣りが好きだったから、京成電車に乗って「印旛新川」に釣りに行ったり、印旛沼の最寄駅で降りて沼を探して暑い中、佐倉の街をさまよったりしていました。

京成電車に乗るときには必ず最後尾の車両に乗り

車掌さんの一挙手一投足を観察

していたものです。
それで自分も「将来は車掌になろう」と思ったのです。
同じ乗務員でも運転士にはなりたいと思わなかった。子供心に、責任が重過ぎると自覚していたからです。

車掌になりたいと言っても、国電は好きじゃなかったですね。なぜかはよくわかりませんが、私鉄、それも京成電鉄と新京成電鉄に憧れていました(単に地元の私鉄
初めて新京成電車に乗ったときは、ワクワク・・・。民家の軒下をぬうように走る電車、カーブで悲鳴を上げる車輪と線路、少ない乗客(大きなお世話)・・・どれを取っても、三十路の理想の鉄道でした。

鉄道会社に就職するには、基本的に大卒でなければならないらしいと知り(本当は違ったのですが)、やはり目標は大学に行くことになりました。

あれから20年が経ち・・・三十路は夢の職業に就けませんでした。

高校生の頃に電車に乗って発作を起こして病気が悪化し、電車を恐怖するようになった

からです。
三十路は恐怖で電車に乗ることすら出来なくなってしまいました。
6~7年前まで、電車には全く乗れず。たとえ乗ったとしても、吐き気・発熱・動悸などのパニック症状に襲われ、散々な目に遭って帰るのがオチでした。電車に乗るどころか、駅に行くだけでしゃがみこんでしまう有様。

しかし、29歳のとき悟ったのです。

自分はこういう体なのだから、発作が起きてもクヨクヨしない

こと、ということを。
それからはメキメキ回復し、電車に乗っても具合が悪くなる事が少なくなったのです。具合は悪くなって当たり前、ならなければラッキー、という考え方に変えたおかげです。
発作で苦しみながらも、それに負けずに電車に乗り続けました。発作に対する良い薬が処方されていた事も大きかったのですが。

おかげで現在は、電車に対する苦手意識は随分なくなりました。お守りのように薬を握り締めている事も、少なくなりました(それでも持ってはいますが
まだまだ人並みに乗れているとは言えないけれど、これが三十路の人生なのです。

新京成電車を見るたびに、中学生の頃の夢を思い出し、複雑な気持ちになります。車掌さんは、若い人が多いですね。三十路には叶えられなかった夢を叶えた人たち・・・三十路は羨望の眼差しで彼らを観察し続けています。
写真の電車が、当時三十路が憧れた新京成電鉄の主力車両(当時)です。なつかしいあの頃・・・。もう一度あの頃に戻れたら・・・きっとこの電車の乗務員室にいるにちがいない・・・。
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Author:cure misoji
永遠の三十路(cure-misoji)
狡猾・残忍・獰猛
四十がらみ的な生物
10万4●歳

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