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私は今、40と伝えてほしいの

東独警察海上部隊少佐、来海えりか殿。
今日はゆっくりする日と決めて、お裁縫をしておりました。

寝不足でうとうとしつつ、田村英里子さんの「助手席のperfume」を繰り返し聴いていました。
嗚呼……1991年秋、このお歌を初めて聴いた頃のことを思い出す。

当時のワシは、もうすぐ19歳の高校2年生。
一年生のとき、見境なく突っ走ったのがいけなかったのか、夏に不安神経症(当時)を発症。
発症はたぶん小学校低学年だから、悪化と言った方が適切かも。
ただ、病院通い&服薬が始まったのが91年夏でした。

9月中は脱水&栄養失調で入院し、もう学校を辞める以外に解決策が見えないほど
絶望しておりました(結局、学校に復帰するのですが

10月に退院、レンタルCDで初めてこのお歌を聴いてビビビと来たのです(古!
内容はドロドロした恋バナなのですが、当時紅葉の進む中を、ときには寝込んで
ときには原付で街を走った思い出が蘇る…


不安障害に関する医療が発達していなかった時代だったことも、不幸に拍車をかけた。
効いているのかどうかわからない薬を飲まされ、薬漬けにされてしまった時代。
お歌を聴いていて、情けないことに泣いてしまいました。


「若い時は良かった」と言うけれど、あの頃はあの頃で精一杯だったのです。
ワシは精一杯闘って、ここまで生き延びた。

たしかに可哀想な青春時代を過ごしたとは思うけれど。
あれから現在まで続く闘病は、ワシの運命。
突っ走った後、倒れたらどうなるかということです。

しかし、今は自己憐憫など考えている場合ではない。
あまり悲壮になるのもどうかとは思いますが、とにかく走るしかない。

今日は結局見舞いに行って、「可能なら」と指示された仕事をやり遂げました。
父上もきっと、喜んでくれるでしょう(明日、ストーマのことで病院にいくので)

今は父上が、入院が長引いているせいで鬱っぽくなっているのが気になります。
一人になったとき、タオルを顔にあてて泣いていることがあるそうなので。

家族が出来るだけ顔を出して、温かくしてあげるのが一番です。
今日も帰り際、ワシの手を握っていた父上。哀しいです。
退院したら、またあの過ぎ去った日々に戻って楽しく暮らそうぞ(カイオウ


立冬ですか。冷たい北風が吹く季節になりました。

高校入学後一年間は、突っ走っておりました。翌年、悪夢が待っていることも知らずに。。
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Author:cure misoji
永遠の三十路(cure-misoji)
狡猾・残忍・獰猛
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