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三十路男の負け犬日記

梅雨。
物思いにふける雨の季節。
普段チャランポランな記事を書いてる私でも、たまには憂鬱気分になります。

思えばこの3●年、常に負け犬人生だったなぁと。
病気に翻弄され、生きていることが嫌になったこともしばしば。。

幼稚園~小学校低学年の頃('70年代!)、翌日から幼稚園や学校に
行かなければならない日曜日の夜、決まって発熱したり嘔吐したりする
幼児だった。
自分ではそんな意識はあまり無かったのだけど、親がそう言うのだから
間違いない。気が弱いというか、あまりに情けない幼少期だった。
何かもう、その後の人生を暗示しているような。。

小学校3年生のとき、はっきりと身体に異常を感じた。
外出時に、吐き気に襲われるようになった。思えばその時既に
今でも悩ませられているパニック障害が発病していたと思う。
当時は、そんな病名は無かったと思うけど。

小学校4年生の1学期(5月という記録あり)から、不登校になった。
毎朝、吐き気に悩まされて……でも親が不登校など許すはずもなく。
布団叩きの棒で叩かれながら登校したはいいけど、早退したり、
保健室で寝てたり。
あの頃は、実にいろんな人に迷惑やら心配やらかけたものだ。
でも私は子供だったから、自分は具合が悪いだけなのに、何故こんな目に…
としか思わなかった。

4年生~6年生の間の両親の苦悩は、推し量る事さえ難しい。
「学校も行かずに、この子はどうなってしまうんだろう」と思ったと、
後に母親が語ってくれた。(こんな駄目人間になったよ…)
それ以上に、私は激ヤセして床に臥せ、家族を心配させた。
病院で検査をしても、どこも悪くないというのに。
後で聞いたのだけど、当時は脳腫瘍の疑いがあったそう(吐き気のため)。
ちなみに神経科にはかかっていませんでした。両親もそんなキ●ガイ病院なんか
行かせたくなかったに違いないです。

担任の先生をはじめ、多くの方のおかげで小学校を卒業させて
もらって、自動的に中学校に入学したけれど、不登校は変わらず。
身体はかなり丈夫になったけれど、肝心の学校にはどうしても
行けなかった。

親から「アニメ禁止令」が出たのは中学1年生の時。アニメは一切
見てはいけないことに。何故か「夕やけニャンニャン」は
見ることが許された。でも、「マジという言葉は芸能界の言葉だから
使ってはいけない」と釘を刺されてました。学校も行けない人間が
芸能関係に興味を持つな、というわけです。
レコードが欲しくても、同じ理由で×。ラジオから録音した楽曲を
イヤホンでこっそり聴くのが日課になった。
そういう教育をされたことを、別に私は恨んでません。おかげで
最低限の常識はわきまえた人間になれたので。

結局、中学校は一日も登校出来ず。それでも卒業させてもらえたのは、
当時通っていた県立の教育相談室の先生の尽力によるところが大きかった。

中学を卒業したはいいけれど、学力ゼロだった私。
高校なんか行けるはずもない。学校自体、行ける自信無かったし。
2年間浪人したのだけど、その間に私は恥ずかしながら初恋というものを
経験した(ひぃッ!!)。
結局片思いで終わったけれど、それが原動力になって高校進学を決意。
独学で入った高校が定時制だったことが、更なる負け犬人生に繋がるとは
夢にも思わなかったのであった。。

2年生でパニック障害再発。
吐き気に悩まされる人生に逆戻りしてしまった。食事が摂れず、再び激ヤセ。
ついに神経科病院に行くことになってしまいました。
「脱水状態だから内科」という事で一ヵ月入院。あの頃は再起不能だと
思ってた、かなり本気で。
あれから18年経って、病院は替えたけど今でも通院人生は続いてます。

当時は、「どうして、どうして」と自分を責めてばかりいたけれど、
やはり小学校4年生からいきなり定時制高校は無理があった。
8年間のブランクから、しわ寄せが来ても不思議は無い。。
せっかく始めたアルバイトもクビに。

定時制高校の4年間は、病気に加えてお金の事や男女関係の汚泥にまみれ、
まさに生き地獄。今でも悪夢に出てくるほどです。
そういえば、タバコを覚えたのもこの時期だった。
ちなみに、レコード(CD・テープ)は2年生の時にこっそり所持してたのが
見つかったのをきっかけに、許されることになりました。

私は21歳まで学ランを着ていた変な男。
定時制では制服は強制ではなかったけれど、制服好きの私は着用してた。
これを書くと、私を知ってる人は●●(本名)だ!と気づいてしまうかも。。

4年生の2学期に大学進学を志したけど、遅いってばよ。
定時制なんて大学進学する人が数えるほどしかいないのだから、勉強も
甘やかされっぱなしだったし。必死で勉強した(つもり)だけど
やっぱり不合格。。

また浪人です。予備校が私を待っていた。
一年間必死こいて勉強してようやく引っかかったのが、誰も知らない
五流大学の夜間部(二部)。
相変わらず病気には悩まされ続け、ゲーゲー言いながら通学したのも
今となっては良い……思い出なわけがない。
病気のせいで電車に乗れなかったから、バイクや自動車で通学してました。
学友からは「いいなあ」と言われたけど、本当は友達と一緒に
電車で通学したかった。

  
  

  学生当時流行った曲


電車にも乗れない病状では、卒業しても就職出来ず。
そもそも定時制高校や大学の二部を選んだのも、拘束時間が短いからだった。
私の病状では、昼間の学校なんか行けなかったのです。
嗚呼、病気に翻弄される駄目人生。
結局、家の商売を手伝うというM君人生を歩むことに…。
絶望のあまり、首を…いや、この話はいけない。

30をちょっと過ぎた頃、私は最後の片思いをしました。
振られるとき、悟った。
「経済力の無い男に今日を生きる資格はねぇ!!」
あの日以来、私は恋をしなくなった。
いい歳して経済力が無い男が駄目なんて、そんな当たり前の事を
教えてくれた女性に感謝してます。いや、本当に。


とてもここには書ききれないほど、波乱万丈で猫背な半生だった。
全部書いたら一冊の本になりそうです(そんな文才も無いけど)。
いろいろと諦めた事も多いし、これから下り坂一方の人生だと
思うけれど、生きる事をやめるわけにはいきません。むしろ
生きていられる事に感謝してます。

私には私なりの生き方があるはず…。
何歳まで生きられるかわからないけど、私なりの人生の締めくくりを
持ちたいと、そんな事を考え…てる私は、やはり衰えたな。。
肉体的な病気が無い間だけでも、出来れば笑顔で過ごしたいと願ってます。
強がりでもいいから。
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五十路

Author:五十路
10万4?歳
軽佻浮薄

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